◎第3回 MICHAEL BAY の THE ISLAND
前回は「アイランド」を観に行くつもりが、「宇宙戦争」にかわってしまったので、友達はまた僕を誘い、僕は再びピカデリーへ向かったのだった。
2001年のヴェネチア・ビエンナーレで偶然見た映像作品は、鮮烈だった。ぼくはその美しさに、すっかり心を奪われて、何度も繰り返し見続けた。それがビョークの All is full of love のビデオ・クリップで、1970年生まれのイギリスの映像作家クリス・カニンガム29歳の作品だった(すでに彼は19歳でエイリアン3 の特殊効果を担当し、映画製作の現場にいた)。
スタジオに設置したアンドロイド(の模型)とアンドロイドをオートメイションで組み立てる工業ロボット(の模型)を先ず撮影して、次にそのアンドロイドの映像に合わせて、白塗りのメイキャップを施したビョークの表情を撮影して、こんどは合成して、細部をCGで仕上げたという。
その完成度は高く、「鉄腕アトム」や「火の鳥」に親しみながら育ち、アンドロイドに関しては見識が高いはずの、極東の人間を虜にしたのだった。
もともと映画には、ジョルジョ・メリエス以来の魔術的伝統がある。映画において、SFX、VFX の発達は、必然的な方向なのだろう。
そして、ぼくはクリス・カニンガムに感心したように、「宇宙戦争」や「アイランド」のVFX にも感心したのだった。
主人公のリンカーン(ユアン・マクレガー)が気がかりな夢から覚めるところから、映画が始まる。「宇宙戦争」と同じように、主人公の視点から物語は展開する。
リンカーンの部屋は、白い無機質な個室。安直に未来的な印象を与えるが、近頃のデザイナーズ・マンションのようでもあり、近未来のビジネス・ホテルか刑務所のようでもある。実はここは、もとはアメリカ軍が作った10万人の収容能力のある核シェルター。汚染された外の世界から生存者を守る為の施設で、健康、食事、スケジュール、行動、すべてが管理された、支配者にとってのユートピア。生存者はここにいる人間のみだということらしいが、抽選で、まだ汚染されていない美しい島に移住出来ることになっていて、生存者たちは男も女も、ただその真のユートピアへの移住だけを夢見て、単調な生活を送っている。
しかし、主人公と観客は、だんだんこのユートピアへの疑念が生じて来る。そして、主人公は驚愕の真実を発見する。自分たちはクローン人間で、しかも、そのクローンの元となった人間から発注された、単に部品取り用のスペアにすぎないことを。
そして主人公は脱出する。折しもアイランド行き(とはつまり、臓器提供すなわち死)を告知されて喜ぶヒロイン、ジョーダン(スカーレット・ヨハンソン)を無理矢理説得して同行させる。もう後には引けない、決死の逃避行が始まる。生まれて初めて(リンカーンは3歳、ジョーダンは4歳!)、外の世界を知った彼らは、その光景に先ず圧倒されるが、うかうかはしていられない。追っ手が来るのだ。とにかく走りに走って、2人は逃げた。逃げることが、唯一の生存の道だ。
クローンを製造したメリックは、2人を捕獲、あるいは抹殺する為に、元軍隊の特殊部隊出身者によるプロフェッショナルな民間警備会社と契約し、後を追わせる。クローン人間は意識のない植物人間としてのみ合法的で、メリックの方法は違法なので、警察などヘは依頼出来ないのだ。そこから、おきまりの、手に汗握るような、そしてご都合主義の、アクション・シーンが展開される……。
生きるために逃げるものと、殺すために追うものと… 映画では、何故このパターンが多いのだろう? 今までに何百本、何千本もの映画で、繰り返されたパターンではないだろうか。この映画でもまた、最新のテクノロジーと細心のテクニックで、またしてもそんなシーンがリニューアルされた。そのあたりのVFXが、この映画の見所だろうか。
アイランドの舞台設定は、2019年のロサンジェルス。そういえばブレードランナーの舞台設定も2019年のカリフオルニアのロスのようなメガロポロスだったなあ。
ブレードランナーが公開されたのは1982年。今から23年も前のことであるのに、驚くが、SF映画に地殻変動を興した作品で、今なお色褪せない。様々な作品に大きな影響を及ぼしてきたけれど、アイランドもその影響下にある。レプリカント(遺伝子操作技術によって作られた有機体)とクローン、フランケンシュタイン博士の末裔に連なる冷厳な科学者/経営者であるタイレルとメリックなど、アイランドは明らかにブレードランナーを下敷きにしているようだ。
レプリカントもクローンも、人間のエゴイスムと戦い、生きるために、生き延びるために、強い意志を持って行動する。ブレードランナーでは、追っ手の人間が主人公(リック・デカード=ハリソン・フォード)で、最後は戦いの相手であるレプリカントのリーダー(ロイ・バティー=ルトガー・ハウアー)から助けられて、レプリカントのロイは尊厳にみちた死を選び、しがない30年代のプライベート・アイ(チャンドラーの小説に出てくるような私立探偵)みたいなリックは、レプリカントに対して感慨深い思いを観客とともに抱くことになる。ともあれ、任務から解放されたリックは、タイレルの秘書のレイチェル(タイレルの姪の記憶が刷り込まれているが、レプリカントなので、法律上は地球で自由な活動はできないことになっている)と駆け落ちをするようにとんずらする。最後のシーンは、汚染されたメガポリスから逃れて、どこなのか緑の森の上空を小型ジェットで飛んでいくシーンだが、同じくアイランドでもラストシーンは、生き延びたリンカーン(自分の元となった細胞の提供者と二者択一の生/死の重大な選択を乗り越えて)とヒロイン・ジョーダンは、パワーボートで南の島へ渡る。どこか別の世界へ、幸福が攫めるであろう世界ヘ、逃亡するハッピー・エンドだ。
もっとも、劇場で公開されたブレードランナーのラスト・シーンは、映画会社がつけ足したもので、スタンリー・キューヴリックがシャイニングのために撮ったけれど、使わなかった部分の廃物利用だ。監督のリドリー・スコットは、後のディレクターズ・カット版では、やはり気に食わなくて、カットしたのだったが。
アイランドには、もうひとつラスト・シーンがある。それは、クローンたちが解放されて、初めて地上に出て、茫然とする様が映し出される。感動的なシーンだが、これから彼らはどうなるのだろう。ぼくは、手塚治虫のアトムの一挿話を思い出す。宇宙には地球の鏡のような星があり、そこから、それぞれの地球人に対応する全くクローンのように瓜二つの異星人がやってきて、それぞれ対応する地球人と一緒に仲良く暮らそうとするのだが、多くの地球人は友好的なのに、なかには異星人を疎ましく思って、排除していこうとする連中が無慈悲な攻撃をする物語だった。
我々のクローンが現れた時、我々はいったいどんな対応をするのだろうか?
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