◎第5回 怪物のユートピア
I 断面からの世界
2005年8月22日から9月3日まで、銀座のSPAN ART GALLERY で、<種村季弘 断面からの世界>展が催された。開廊10周年記念と云う事だったが、また、2004年8月29日に亡くなった種村さんの一周忌でもあり、平凡社から出版された『断片からの世界ー美術稿集成』の出版記念でもあった。
ここスパン アート ギャラリーの若い御主人の名は、種村品麻さんといい、種村季弘さんのご子息です。しゃれた名前だなあ、と思っていたら、品川と麻布との間で生まれたからと云う、国立(国分寺と立川の間)みたいな、無造作な命名方なんで、よけい種村季弘さんのナンセンスなセンスに畏れ入ったもんです。
種村さんの最初の著作は、グスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』の翻訳であり、マニエリスムという、それまでは等閑視され、蔑まされてきた、ある傾向に、新たな照射を当て、新たな意味を発見し、その復権を成した革命的な書物であった。その原書は1957年、翻訳は1966年の出版だが、1971年に翻訳・出版された『文学におけるマニエリスム』とともに、種村さんの翻訳の出発点だけど、ホッケの訳文が種村さんらしいスタイル(哲学者の禁欲的アフォリズムを思わせる文章が、その思考の運動とともに初々しい衒気に充ちて躍動し、論理が自発的に跳躍する文体)を予感させていた。
最初の評論集の表題が、『怪物のユートピア』(1968)。すでに偽善的なヒューマニズムとの絶縁を宣言していた。
ホッケとともにマニエリスムの復権の立役者となった種村さんは、1970年に『象徴主義と世紀末芸術』ハンス・H・ホーフシュテッターの翻訳を出版して、象徴主義の再発見への道しるべを置き、以上の2冊で日本の若い芸術家達・研究者達を秘密の花園へと誘ったのだった。
「骰子の7の目」シュルレアリスムと画家叢書の一冊として、74年に翻訳『クロヴィス・トルイユ』が、76年には編集・翻訳・執筆を担当した『ゾンネンシュターン』が、その間の75年にはハンス・ベルメールの『イマージュの解剖学』までもが翻訳され、いずれもシュルレアリスムに力を入れていた河出書房新社から出版された。
74年出版の『失楽園測量地図』ではその書名ともなった表題のエッセイで、アルフレッド・クービンとオーストリア=ハンガリー帝国を巡る時代の精神にアプローチした。78年出版の『箱の中の見知らぬ国』には、スワンベルグ訪問記とゾンネンシュターン探訪記が収録されている。79年にはユリイカの臨時増刊『ダダイズム」の編集に当たった。その編集後記で、種村さんは述べている。「ダダをダダイズムとして整理するのは必ずしも好ましくない。」「秀才の研究の中では死んでも、愚者の祝祭としてならダダは今も生きている。」、と。
そして80年には、ヴォルプスヴェーデ滞在記であり、ヴォルプスヴェーデを中心とした年代記であり、ハインリヒ・フォーゲラー評伝であり、ユーゲントシュティール美術史であり、種村さんの3作目の長編評論でもある『ヴォルプスヴェーデふたたび』が単行本として刊行された。74年に偶々3日間だけ滞在したこの村に、76年再訪して3ヶ月余、居住した。33年生まれの種村さん、43歳の折である。彼の最初の本が刊行されてから10年目のことである。ヴォルプスヴェーデ体験は、彼にとって何だったのだろう。(翌年には彼の代表作の一つ『ザッヘル=マゾッホの世界』の連載が始まった。)また、同年刊行の『愚者の機械学』には、アドルフ・ヴェルフリやエンマ・クンツのようなアウトサイダー・アーティストが紹介されている

すでに種村さんの美術論は、60年代より執筆が始まっている。最初は多分、マニエリスムについて。そして、ドイツ・オーストリアの同時代の画家達についての連載『夢幻の森の呪術師たち』が68年から開始された。それが単行本『迷宮の魔術師たち-幻想画人伝』として纏められたのは、だいぶ遅れて85年のこと。ブラウアー、ハウスナー、フックスらウィーン幻想派や、ウィーンにありながら彼らとは一線を画するレグシェク、パリで死んだヴォルス、ヴォルプスヴェーデ在住のブレーマー、モレル、メクセパー、そして30年代のパリでシュルレアリストと交流し、ヴォルプスヴェーデで食うや食わずの貧困生活をし、晩年まで孤独で無名であったエルツェ、そしてヤンセンやフンデルトヴァッサーら14名についての評伝的美術論考である。
85年にはまた、現代イタリアのファブルツィオ・クレリチから始まり、18世紀末のフュスリ、19世紀末のクリンガーについての論考や、ゾラとマネのナナをめぐる神話学、素朴な水彩画を描くヘッセと老人ホームで孤独裡に死んだ無名の画家ルイ・ステーとの関連、そしてカール・ケレーニーの迷宮やホッケのマニエリスムについての論考などが収録された『ある迷宮物語』も出版された。
88年には、77年のベルリン旅行で再発見の現場に立ち会った20年代ドイツ芸術の顕著な傾向ノイエ・ザハリヒカイト(新しいリアリズム)に就いての論考『魔術的リアリズム-メランコリーの芸術』が出版された。ホッケの伝道者種村さんは、マニエリスムが精神史美術史的常数として各時代に繰り返し現れるように、魔術的リアリズムという精神史的常数が20年代ドイツのある局面において現れたのがノイエ・ザハリヒカイトとする考え方を示し、日本の30、40年代に現れた魔術的リアリズムについても暗示した。
90年には、ハンス・H・ホーフシュテッターの『ユーゲントシュティール絵画史』を翻訳した。そして、94年には世紀末についての、最新の研究家達による研究の成果を監修・翻訳した。
95年には、ホルスト・ヤンセン作画の『リッツェ』も出版された。

おそらく、種村さんは自分の役割として意識的に、マニエリスムの紹介と、主に日本で詳述されたことのないドイツ文化圏における19世紀末から20世紀までの美術と作家達をその時代精神を腑分けしつつ俯瞰的に見せてくれたのだろう。しかもそれが今現在に地続きの問題として、私たちに開示してくれた。
以上の種村さんの仕事が、日本のこれから何かを生み出そうとする芸術家、研究者に与えた影響は大きい。言うまでもなく彼の著作から恩恵を被った人びとも多い。
そしてまた、彼は日本の芸術家達に就いても書いた。それは、戦後の日本の芸術に於いて、滝口修造が果たして来た役割を継ぐ面もあって、『余白に書く』のように、主に作家達の個展の際に書かれた文章であった。作品は鋭い批評眼で射抜かれて、しかし優しい語り口で、その作家の未来を開いてくれるような文章。
98年に出版された『奇想の展覧会』が、最初に纏められた日本の芸術家論で、その時にもその本にちなんで、種村さん所縁の作家の作品を集めて、同じ題の展覧会が催された(SPAN ART GALLERYの前身である画廊春秋にて98年7月20日から8月1日まで。翌年1月9日から2月27日まではC・スクエアに巡回)。
あれから早くも7年。没後出版となってしまったが、再び日本の芸術家に就いても触れた『断片からの世界』が刊行され、前述したように、それにちなんだ展覧会が催されたのだった。
両方の展覧会とも、多くの人が集まり評判を呼んだが、残念ながら、上記の2冊の単行本にまにあわず収録されてない作家たちもいる。そういった作家達をも含めて、紹介披露していくのが、これからの SPAN ART GALLERY の役割というものだろう。同じ役目を、老舗青木画廊やミラージュも担っているはずだ、と、私は思う。
II ある迷宮物語
巌谷國士さんは、澁澤龍彦さんの旅は、既知との遭遇、つまり本で既に知っていた事の確認作業だった、と評した。確かに種村さんの旅にもそんな面があったにちがいないが、しかしまた、それだけではない。旅先では様々な出会いと発見があった。それを契機に新たな研究が始まった。澁澤さんは、サドの末裔が来日しようが、マンディアルグが来日しようが、まわりがどんなにお膳立てしても、決して会おうとしなかった人だけど、種村さんは、ホッケとも、フックスとも、メクセパーとも、ファブルツィオ・クレリチとも、ゾンネンシュターンとも、スワンベルグとも、東京やヨーロッパで気軽に会っている。別に芸術家・文学者との交流ばかりか、旅先で出会うふつうの人との交流があった。種村さんは言っている、パラケルススの生家を訪ねた折のこと、「前夜と午前中いっぱい、町中を寄り道してようやくたどり着いた家の平凡な光景に、わたしはちっとも失望しなかった。一軒の何の変哲もない家を訪れるために、途中さまざまの出来事や、道草や、ささやかな経験や、人びとに遭遇する。そもそもそれが旅というものではなかったのか。」と。
しかるに鎌倉のデ・ゼッサント澁澤さんの旅は、種村さんの謂う旅とは違った。その旅はほとんど夢のようなもの。頭の中の出来事にすぎない。澁澤さんほど現実より夢を上位に置いていた人はいないし、これほど生涯に渡って夢を見続けた人はいない。『高岳親王航海記』だって、すべて夢の中の出来事、全編が夢の記述である。ぼくはいつも澁澤さんから「夢の力」を感じてた。それは現実を変革するほどの力だった。
それでは種村さんは旅の人ということだろうか。東京という都市にあっても、ご本人が述べるにはある時期には複数の部屋を都内のあちこちに持って、ミステリーの登場人物のように身を窶していたという。おそらく雑誌編集者として梶山季之らの担当をしていた時期だろうか。その後も、あちらこちらを転々として、またあちらこちらの秘密の隠れ家(たとえばそれは横町の肴が美味くて安くて汚らしい居酒屋であったり)に出没して、都市のフラヌール(遊民)的イメージを抱かせる。たとえベルリンにあっても、街を徘徊・探訪して独特の臭覚で自分好みの飲み屋を発見されたようだ。ことほど左様に、種村さんには都市の密やかなさまざまな情報を入手できる特殊能力があるらしい。けれども、種村さんの文章を読んでいると、異国の街のうらぶれた飲み屋が、どうやらそのまま戦後の雰囲気を濃厚に残す50年代新宿の片隅の酒場と通底しているような趣がある。そうだ、種村さんの旅も、時には行き当たりばったりで『行ったきり、も悪くない…」と嘯いたりしながらの旅もあっただろうし、ヨーロッパの果てまで足を伸ばしたこともあったけれども、その実どんなに遠くまで行っても種村さんの縄張りの中を決して出ない旅だったのではないだろうか。どんなに遠くであってもそれは自分の箱の中の見知らぬ国であって、箱の外ではない。その縄張りの中は錯綜した迷路のように見えたかもしれない。そして、その永遠に辿り着けない中心は、『東京府豊島区池袋2丁目963番地」であったに違いない。種村さんの引用によれば、かってメッテルニヒは、『私の家の裏通りからアジアがはじまる」と語ったそうだが、今にして思えば、種村さんの池袋の生家の裏通りからヨーロッパがはじまっていたのである。
III 断片からの世界
種村さんの『断片からの世界』から引用する。
ノヴァーリスの『断章』に「眼を走らせているうちにあることに思い当たった。それは、観念論哲学のあの強固にして難解な体系的思考を眼を血走らせながら追っているときの鬱屈し硬直した身構えとはまるで無縁に、文章の閃光から閃光へと鳥のような身軽さで飛びうつることを可能にしてくれる、アフォリズム的発想の遊戯的自在さの魅力とでも言おうか。幾頁かをへだてて語と語、文章と文章が呼応し合い、雲が分かれたり結んだりしながら刻々に形を変えるように、次から次へとパースペクティヴを変容させる。その、さながら空中に遊ぶような思考の軽やかさが、一口に天上的と名づけたくなるような風情を呈していたことである。
こうした見方はあるいは、なにごとにつけ重さをきらう私の個人的体質のしからしめるところなのかもしれない。とまれ、体系的思考のほかに世には断片的思考ともいうべきものが存在していて、しかもその断片性はかならずしも未完もしくは不具であることを意味せず、断片相互の組合わせや対応からほとんど汲めども尽きせぬ無限の構造を生成させるものなのだ、と知ったのである。」 「要するに、断片によってしか語ることのできない世界があるのだ、私はそう考えたのである。」
断片を愛した種村さんだったが、種村さんの世界は、断片からの世界ではなく、ウロボロス的に完結した世界であったように、思われる。しかも、それはほとんど汲めども尽きせぬ無限の詩想の宝庫である。たとえば、『一角獣物語』一冊を繙くだけで良い。一角獣についての様々な断片が、幾頁かをへだてて、語と語、文章と文章が呼応し合い、雲が分たれたり結んだりしながら刻々に形を変えるように、次から次へとパースペクティヴを変容させる。その、さながら空中に遊ぶような思考の軽やかさが、一口に天上的と名付けたくなるような風情を呈していることに気づくだろう。
IV 魔術的跛者
種村さんの最後の著作は、ユリイカに連載された『畸形の神 あるいは魔術的跛者』だろう。この本についてはとても気になるけど、私などに語る資格はない。翻訳を別にして、映画評論の『楽しき没落』、前述の『断片からの世界』、そして『雨の日はソファで散歩』が没後、出版された。まだ、単行本未収録のエッセイ、評論、翻訳もかなりあるだろうが、生前ご本人の意向によって編集されたのは以上であると思われる。
種村さんの著作集は、これまでに2度出ているが、79年に刊行された最初の青土社版『種村季弘のラビリントス』全10巻は、それまでの単行本が稀覯本となっていたための再版にすぎない、と、言ってしまっては言い過ぎだろう。その10巻は、著述業に携わってわずか十数年での偉業であり、世に改めて知らしめる必要があったのだ。次の著作集は、98年に河出書房新社から刊行された『種村季弘のネオ・ラビリントス』全8巻で、テーマごとに、1冊につき単行本2〜3冊分の文章が収められていた。おそらく種村さん自身による編集だったと思われる。例えば、第5巻の『異人』には、『ヴォルプスヴェーデふたたび』と『ザッヘル=マゾッホの世界』の2冊がそのまま収録されているが、第8巻の『奇想図書館』では、最初の日本文学作家論『壷中天奇聞』(この本の装幀を好ましく思っています)や、『夢の舌』、『器械の祝祭日』などを解体して、あらたに単行本未収録の文章も加えた、新編集となっている。
いずれにしても選集なので、これから全集の刊行が待たれるが、本当は優れた編集者でもあった種村さん自身に編集して貰いたかったね。また、種村さんをちゃんと批評できる文学者もほとんどいなくなってしまったことも、不幸なことである。
種村さんの全集は、澁澤さんのような編年体ではなく、まずテーマ別が、後学の徒のためにはいいだろう。もちろん単行本を尊重して、例えばネオ・ラビリントス第3巻のように、『薔薇十字の魔法』という単行本を核にして、その補遺として、他の単行本からの文章を加えたような編集方法で、さらに、翻訳もテーマが沿っていれば、そこに併合するという編集方針が望ましいと、私は勝手に思っている。また、アンソロジーも入れるべきだろう。
79年刊行の『書物漫遊記』以来の漫遊記シリーズは、新たな種村読者を開拓したようだが、私はその延長線上にあり、さらに酒脱な、『晴浴雨浴日記』、『人生居候日記』、『徘徊老人の夏』を愛読しています。『雨の日はソファで散歩』は、残念無念だが、このシリーズの最後になってしまったようだ。ところで種村さんの本の装幀の中でも、『晴浴雨浴日記』のそれは、素晴らしい。種村さんの文章と相まって、その当時とても楽しい気持ちにさせてくれたのを覚えている。そんな気持ちにさせてくれる本は滅多にない。装幀・挿画を担当した井上洋介画伯の面目躍如たるコラボレーションだ。
V 怪物の解剖学
ユリイカ73年1月号より11回にわたって連載され、74年に単行本として刊行された『怪物の解剖学』は、人造人間=怪物をめぐる神話学的・心理学的・言語学的アプローチによる解体と、その神話=物語の文学的再構築の書であった。
ユダヤ教のゴーレムについて、ギリシア神話のプロメテウス、ヘーパイトス、ターロス、ダイダロス、パラス・アテネらについて、ホムンクルスについて、人形、とりわけ自動人形について、アルラウネ=マンドラゴラについて、ピュグマリオンについて、ドッペルゲンゲルについて、つまり人間の精神が生み出した人造人間についての探求の書である『怪物の解剖学』には、人間が人間の条件を越えて、神たらんとする欲望の深層が描かれている。引用すれば、「人形はいわばいきなり組み立てられてそこにある。したがって、いみじくも鍛治師の元祖 ヘーパイストスが取り出したパラス・アテネは、最初から完成品であった。」「生殖と進化の循環から絶たれた、この最初の虚無からの創造の産物たるパラス・アテネを、かって、バツォン・ブロックは、カルージュの用語を借りて最初の独身者の機械と名づけたことがある。」『世にあり得ないもう一つの反自然的な出生は処女生殖である。マリアは血肉を具えた夫との自然な性交によらずして、神から直接イエスを懐妊した。したがって両性の自然的な結合によらない子の出生には二つの種類があることになる。一つは処女による、もう一つは独身男子による虚無からの創造である。錬金術の壜のなかで化成する人造人間ホムンクルス等は、いうまでもなく後者の場合に属する。一口にいえば、処女生殖の方は神に従順な、神の意嚮を享けた奇跡の創造であり、これにたいして独身者の単性生殖の方は神に逆らっての創造である。」「生殖・進化の道を逸脱して独身者の機械製作に耽溺する独神の後裔たちは、明らかに後者の系譜に属する潜在的な反逆者だ。いいかえれば、彼らは生み出された者(または子)でありながら自ら神の座をうかがい、あわよくば生殖の道を踏まずして神(または父)たらんとする野望の虜となっている無神論者なのである。」
メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を繙く時や、人形を見つめる時に、種村さんの『怪物の解剖学』は、いろんな示唆を与えてくれることだろう。
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