◎第1回 真夜中の弥次さん喜多さん
     ──少年王者舘の百人芝居(2005年8月10日〜13日)

ぼくは、吉田戦車ならば、単行本のほとんどを読んでいる、と言えますが、しりあがり寿については、すべて読んでいるとは言い難い。もちろん好きな作家の一人なんだけど。道楽者の友人、栗田明が、『真夜中の弥次さん喜多さん』をまれに見る感動的な傑作と絶賛していたけど、彼とは好みのテイストが、かなり重なっている面もあるけれど、それでも37%くらいで、時々ぼくが、はなから馬鹿にしているようなものまで、彼は良いと言ったりしているので、それで、気にはなっていても、なかなか読めないでしまっているのです。

だから、ふたり芝居のときも、見たいと思っていたのに見逃しちゃったのかな。今回の百人芝居は、幸いにも誘われて、見に行くことが出来たのでした。
鶴舞公園は、名古屋で2番目に好きな公園です。ちなみに1番好きなのはふたつ池公園で、3番目に好きなのが白川公園、4番目が千種公園で、5番目が西山公園です。
ちょっと早く着いたので、少しだけ公園を散策しました。帽子を目深に被った宇野亜喜良さんとすれ違いました。きっと矢川澄子さん繋がりということもあって、律儀にいらっしゃったのでしょう。ぼくは宇野さんの作品のファンですが、面識もないとは言えないのですが、紹介してくれた友人の紹介の仕方がまずかったのか、あちこちでお目に掛かっても、何故かご挨拶できないで、失礼ばかりしてしまいます。

余分な話ばかり、してますねえ。さて、観劇です。
もちろん、おもしろかったです。
ぼくが初めて見た少年王者舘のお芝居は、あの『高岳親王航海記』でした。それは、それまで見たすべてのお芝居の中で、最高におもしろかった。それ以来、何度か、少年王者館のお芝居を見に行きました。でも、あれほどおもしろかった作品は、まだないなあ。今回の作品は、それ以来見ることが出来た、彼らの作品の中では、一番おもしろかったけどね。

天野天外さんらしい、時間が可逆的で、しかも、伸びたり縮んだりして、そこに、人の存在の悲しみが浮かび上がる、おはなしはいつものよう。
田岡一遠さんの舞台美術も健在で、そのかっての日本の木造家屋の雰囲気が、エキゾチックで、ノスタルジックなものとなっているのもいつものとうり。そして、小道具のプロペラ、テレビの何も映ってない画面のノイズ。それらが、場面展開の合図だったりして、もともとがこの世ではないような異次元であるのが、テレビのチャンネルを換えるようにして、また別の異次元に跳んで行く。障子を開け閉めするだけで、世界が変わる。

ともかく、お芝居の間、ずうっと、おもしろかった。
きっと、澁澤さんの『高岳親王航海記』以来の、天野さんがコレスポンダンスできる原作が、この作品だったのでしょう。ふたり芝居を見逃したのが残念だったけど、でも百人芝居を見ながら思ったことは、これは2人+100人の劇ではないのかな、ということ。つまり、ふたり芝居+百人のエキストラみたいな。いや、エキストラといっては失礼だけども。

厳密に言えば、これは少年王者舘ではなく、KUDAN Project の製作ということみたいだけど、さて、KUDAN とは、また、なんだろう? 九段、それとも件? ふーむ、わかりませんね。ともかく、そこが、ふたり芝居をやっていたわけですが、百人芝居になって、きっと、いっそう、少年王者舘らしくなったんじゃないかと、想像します。かって、巌谷國士さんが、『高岳親王航海記』を壮大きわまる学芸会と評したけれども、少年王者舘のたくさん出演者が出てくる舞台は楽しいなあ。1992年の『高岳親王航海記』でも出演者はたくさんいたけど、その時はいちおう全員、役者さんだったはず。でも、今回は全国的に募集チラシをばらまいての公募だから、必ずしも役者さんばかりではないようです。そして集まった人たちは、総勢161名とも172名ともお聞きしますが、さぞ楽しかったことでしょう。マス・ゲームでも少年王者舘のなら、出てみたい。以前、ぼくは映画『トワイライト』に光栄にもエキストラ出演させて頂きましたが。それにしても、天野さん、小熊秀司さん、寺十吾さん、安住恭子さん、そして少年王者舘、てんぷくプロ、tsumazuki no ishi の役者さん、裏方さんは、すごーく大変だったことでしょう。資金問題、稽古の問題などなど、想像もしたくないほどの困難を受け入れながら、とにかく作っていかなくちゃならないのだから、いやはや、並大抵のことではないことの、百乗くらいの艱難辛苦だったことでしょう。初日の開幕はだいぶ遅れたようだったけど、直前まで最初で最後の通し稽古をやっていたとの噂も聞きました。そして、すでに有名な伝説になっているように、やっぱし、天野さんの台本も直前まで完成していなかったとか。

でも、とてもおかしくて、物悲しくて、不思議な舞台でした。
過去と未来、遠いとこと近いとこ、この世とあの世、意味と無意味、やじときた。そんなくっきりとした2項対立が、やがて、ことばのかけあい、ことばのずれから、どんどん記憶も世界もずれていって、溶けていって、幽明のあわいで、両方の世界を行ったり来たり、自分が生きているのか死んでいるのかもわからないくらいの、あやうい世界。そんな世界を現出させ、その刹那、確かに天使や妖精が横切るような舞台など、世界中探したって、少年王者舘のほかには、ありますまい。

うーん、ひさしぶりの石丸だいこの踊りが、良かったなあ。そして、ぼくはかって高岳親王(さらに言えば夢の王国の少年王・澁澤龍彦でもあるような)を演じた彼女に自然と、思い馳せるのだった。

 あれから、もう13年という歳月が経ってしまったのかと、感慨深い。というのも、1992年の『高岳親王航海記』は、七ツ寺共同スタジオの220周年と少年王者舘の10周年の記念公演として、催されたのだけど、その時までの10年20年という歴史のなかでの、到達地点として実に素晴らしい舞台で、とても感銘した。
 そこで、13年ぶりにまたもうひとつの天野天外の到達点を見て、感慨を新たにしたわけだ。ここで、しばし話を自分のことだけに限るが、その時までは、自分も若く、未来はまだ未知のものとしてあったのだけれど、その未来のうち13年を閲した今、なんてお馬鹿な人生を、追われるように生きて来たのだろうと、顧みて思うと同時に、もう疲れていて、この先も同じような人生だろうと、今の毎日は変わらないだろうという無意識の諦念さえあることに気がつく。まこと、芸術は長く、人生は短い、ということか。それぞれの、この13年間は、いったいどんなものであっただろうか……。

13年前のあの舞台は、もう、まぼろしとなってしまったが、澁澤さんが見ていたら、きっと喜んでいたに違いないほど、すてきなものだった。澁澤さんの最後の贈り物と言っても良いほどの、澁澤さんにふさわしい舞台だった。もちろん、以上の言い方は、おかしくて、むしろ少年王者舘からの澁澤さんへのはなむけというべきだろうけど、しかし澁澤さんの精神が生き生きと躍動しているような初々しい舞台で、しかも、とても美しく清らかで、それはひとつの奇跡みたいなものだった。あんな奇跡は2度とおこらないだろう。


その昔、状況劇場で、四谷シモンと金子国義のからみに、おひねりとともに黄色い声が上がったように、あの時も、ちょっとおちゃらけがあって、三島由紀夫や澁澤龍彦までもが登場して、会場が沸いた。天真爛漫な澁澤龍子さんも、『あら、似てるわねえ。澁澤にそっくりよ。』と、言って、笑ってたっけ。

澁澤さんほど、現実よりも夢により大きな価値があることを認め、しかも、夢に現実を変革するほどの力があることを教えてくれた哲学者はいなかった。
そして天野天外もまた、自在に夢とうつつを行き来する幻視者であり、そのたまゆら、僕たち観客を舞台の役者さんと一緒に、一挙に彼岸に連れていってくれたのだった。