Shohei Iwasaki BIOGRAPHY
1996年
*2/14、岡山・ペパーランド、16日姫路マッシュルーム、17日難波ベアーズでSIAN(Monde Bruits+Aubeのシンセサイザーユニット)のライブを行なう。
*3月、AMPからMONDE BRUITS, PAIN JERKの"FRAGMENTAGRAGH"スプリットカセットをリリース。シンセサイザー音源としては初のオフィシャルリリース、限定100。
*5/3、姫路・マッシュルームでMONDE BRUITS, MASONNA, PAIN JERK他でライヴ。(この時はシンセの制御が利かず今一つの出来であった)
*6/3、ZSF&AMP presents COLLECTION OF NEW ELECTRONIC MUSIC と題して MONDE BRUITSをメインに招聘、PAIN JERK, ZECKEN(秋田昌美)、古舘徹夫+有馬純寿+PNEUMAの出演で高円寺SHOWBOATにて演奏。この時はローランドのシステム100Mを使用、シンセサイザー期としては既に末期。この時のエピソードとしては、ライヴ終了後、動員が少なくて通常チャージバックが無い所、秋田氏がSHOWBOAT側に噛み付いて、たかが数千円を奪取。それを黙って岩崎君へギャラとして渡しました。(もちろん岩崎君の知らない所で)以後、秋田氏とSHOWBOATの関係は無くなった。<注ーSHOWBOATー東京の郊外の仙川にあったGOSPELという狭いライヴハウスが閉店後、高円寺に進出しSHOWBOATとしてオープン。GOSPEL時代90年代初頭はインキャパシタンツ、メルツバウ、ソルマニア、マゾンナ、CCCC、モンドブリューイッツ、ペインジャークなど多数出演していた様だ。>
*この頃を前後して、BANANAFISHインタビュー&付属のCD収録。
*JAPANOVERSEASリリースの4ウェイスプリットCD,"AUBE+KATSUMI+KOSAKAI+MONDE BRUITS"リリース。このCDのタイトルは当初「ハレルヤ」としたかったみたいだが、J.O.のショーエイ氏の反対で却下された。
*V.A. "Back to Mono" 7inch 収録。(Mo) No Particular Records/Hollandから限定150枚のリリース。これは不確かな記憶では、スタールプラートもしくはフランツデワード辺りの変名レーベル。モンドブリュイッツの曲名は"Mono"。1分程のトラックでシンセサイザー期。しかし海外なので正確なリリース時期は不明。
*SIANとは別で、中嶋氏、岩崎氏に加え故林直人氏の3名で極短期間にタンジェリンドリームの様な事をしていた話しを聞いた記憶あり。
*12/28、姫路・マッシュルームで SPARTAKUSで出演。メンバーは、岩崎昇平、本木良憲、柳川芳命、RYO、36。他の出演は、Third Organ、Bostang Sponge Cake、SHIDA(岡崎豊廣)+長谷川光平、Empty Orchestra、怖。
1997年
*一切資料無し。確か音楽面ではほぼ活動停止状態であったと思われる。謎。
1998年
*前年もしくはこの年から次期 MONDE BRUITSの構想をシンプルでケレン味の無いなギターノイズへと試み始めたと記憶。サムとのパワーインプロユニット、スパルタカスでギターをプレイした背景や記憶から、そして広重氏のソロ活動にリンクするように改めてギターに興味が傾倒していったと思われる。
*10/10、造形センターでライヴ。アルケミーCDに収録された社長のカバー、"もう少しだけこのまま"が録音として残っている。
*11/29、マッシュルームにて MONDE BRUITS+THIRDORGAN, 怖, SOLMANIA, PAIN JERK の面子でライヴ。記憶では岩崎君はギターにローランドのファズワウなどシンプルな機材で衝動を弦に託す演奏。しかし単独での演奏は嫌い、この時はサードオーガンがサポート。ギター期は各種ファズをリサーチしていた様だ。また、TOKAI製のマッチングヘッドのストラトキャスター(メタリックブルー)を愛用していた。
*この年はアルケミーからのCD発売用音源の編集などで生駒のスタジオにてPCによるマスターリングなどにもトライしていた。それは1999年アルケミーより、自薦の歴史的CD "MONDE BRUITS"がセルフタイトルでリリースされ、そこに結実している。CDトレイにある岩崎君の写真は本来、グレイ色のレギュラーのトレイで隠され、気が付いた人だけが笑える仕組みであったが、何かの手違いによりトレイがクリアーになってしまい、当初のコンセプトが台無しに。岩崎君曰く「関西人やから、何処かで笑いとっとくつもりやったけど。」
1999年
*3/24、25と渋谷LA MAMAにてALCHEMY NOISE FESTIVAL 2DAYS開催。
初日24日に、JOJO広重+秋田昌美、LA-MONES YOUNG, MONDE BRUITS+PAIN JERK, MASONNA+RUNZELSTIRN&GURGELSTOCK 出演。 MONDE BRUITSの使用機材はなんと、エレクトリックシタールとダブルネックスチールギターをプリペアド奏法するという、弦の数で挑んだ。これら機材のアイディアも電話での雑談から生まれた物であった。意外性のある機材を持って来るあたりはさすがであった。シタール使用のアイディアはスマップのヒット曲「あれから僕達は〜」ーというくだりで始まる曲(曲名忘れたが)ーの中で使用されていたシタールの音が好きと言う会話から発展。この演奏スタイルはこの時のみであろう。エレクトリックシタールは後に大野君のオートバイKAWASAKI Z-200と交換されて引き取られていった。因みに翌25日は、カナダからTHE NIHILIST SPASM BANDをメインに、AUBE, MNE-MICであった。
2000年
*8/12、造形センターにて "SO, WHERE AM I GOING?" というタイトルで「フリーミュージック」及び「フリーインプロヴィゼイション」という出自を見直す為と思われるライヴを、岩崎昇平、コサカイフミオ、岡崎豊廣、JET VELにより行う。
*8/27、ベアーズに米国のバンド、BASTARD NOISE来襲。対バンにMASONNA, PAIN JERK, MONDE BRUITS+NAOTO HAYASHI+FUSAO TODAというメンツ。このトリプルギターノイズユニット名は後にabmとなり(何故か大文字ABMでは無く小文字abmが正しい)、林さんがアンバランスレコードの名を使用許可のもとabmの1st CDR "live at bears 27th august 2000"として限定100部リリース。こぼれ話しとして、abmとユニット名が決定する以前に「どんなんが、ええかなあ」と話したが、彼が好きであったパブリックイメージリミテッドの曲名「アナリサ」なども候補に挙がっていた。
*12/17、東京・20000ボルト、MNSという即興ギターの宮本君の企画に、MNS+コサカイフミオ, MONDE BRUITS+T.MIKAWA, MERZBOW, PAIN JERK+中原昌也で出演。美川氏はいつものスタイル、岩崎君はギターとコンタクトマイクとヴォイスという編成。途中から岩崎君は上半身裸になっておりマッチョな上半身を曝け出しカッコ良かった。
2001年
*1/20、ディスロケーションの岡崎氏の企画NOISE CAPTURE PRESENTS「弐千壱円 音の旅」と題し名古屋・TOKUZOにて、岩崎昇平、JET VEL、コサカイフミオ、岡崎豊廣でライヴ・セッションが行なわれた。(06年に追悼盤としてリリース)
*2/10、何とNOISE FOREST 2001と銘打って大阪クアトロにてabmライヴ。共演はインキャパシタンツ、怖、JOJO広重など。小杉武久氏にも見にきていただけたと、うれしそうであった。この時の模様は abm "NOISE FOREST 2001" video + "live at quattro 10th february 2001" CDRとしてセットで発売、アンバランスがCDR製作、東瀬戸氏のAUGENがビデオ製作と、共同リリースの模様。
*7/21、小堺氏発案企画でabmの東京ライヴを実現すべく、ノイズ・フォレストの東京版として、FOREST IN NOISEと銘打った企画を20000ボルトで開催。出演はabm, INCAPACITANTS, 光束夜, KIRIHITO, PAIN JERK。林さんは術後、何とか体調をライヴをこなせるまでに回復させて挑んだabm最初で最後の東京公演であった。
2002年
*8/24、ベアーズにて餓喇堕魔の柿木氏の企画、総合雑音技。出演は、GOMIDAMA(餓喇堕魔+ペインジャーク), MONDE BRUITS+SAM, SOLMANIAという面子。
2003年
*仕事で東京に来た岩崎君に林さんの訃報が入り、岩崎君は27日の告別式の出棺に何とか間に合う。林さんの死は彼の心に暗い影を残したと思う。以降、時代の閉塞感とともに共振する様に演りたい事が無くなってしまう状態が続く事に…。竹谷さんの店に時々顔を出していた様だ。
2004年
*前年から本年にかけて音楽活動は停止状態だったと思われます。少なくとも手元には一切資料がなし。竹谷氏と一回いっしょに演奏してたかもしれないとの事で、もしかしたらこの期間にあったかもしれませんが詳細不明。
2005年
*4月14日 永眠