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カミガカリの死―オスト・オルガンとむささび猫による「カミガタリ〜引く演劇」
の上演(98.10.24.名古屋大須七ツ寺共同スタジオ)への覚書
金野吉晃
ニャンコ、またの名を「むささび猫」という芸人がいる。70年代中期、学生時代に演劇活動、学生運動に加わり、自らの一座を旗揚げする。テント小屋での演劇はすぐに挫折し、一人芝居を開始する。芝居は徐々に大道芸へと移行していった。15年間というから83年頃から、そのスタイルは定まっていったものと思われる。彼のスタイルは以下の如くである。「ささら(簓)」と呼ばれる、70センチ程の途中まで割った竹を、同じくらいの長さの刻みを入れた木の棒にこすりつけ、打鳴らし、自らの語りや唄を伴奏するのである。中世に「ささらすり」という芸能があったというが、彼はそれを見ている訳ではない(「ささらすり」は「説教語り」であるとも言われる。「ささら」は二つに大別され、木片を多数繋いだ「びんざさら(編木)」と、ニャンコのつかう「すりざさら」がある。後者はまた、ささら竹、ささらこ、とも呼ばれる。いずれも「説教語り」の他、田楽、獅子舞にも用いられた。秋田県の内陸部にはまだ「ささら」を用いる踊りが残っている)。
その風体は、腰までの長髪、痩せこけた顔に異様な眼光、歯の欠けた口、白塗りと隈取りの化粧、頭にはバンダナを巻き、国籍不明の遊行者風の衣装、裸足には鈴の輪をまき、跳びはねながら、あやしげな発音と大道芸独特のダミ声で節をとる。小柄ながら、その様は空間を支配するに十分な威勢がある。彼の語りは全て自作である。繰り返しの多いフレーズをのせたその主題は、日本各地の縁起譚が主であるという。あるいはまた中山みき(天理教)、出口なお(大本教)、北村さよ(踊る宗教)など教祖の神がかりによる神託テクストを下敷きにしたともいう。今回選ばれた主題は、虐げられ、虐殺された人々にまつわる事件だったように思われる。それは沖縄であり、六ヶ所であり、広島であり、一向宗だったりする。その節は、わらべ唄でもあり、祭文語りでもあり、ゴゼ風でも、覗きからくり、説教節のようでもある。しかし沖縄が語られるときには琉球風にもなり、インドや仏教の神仏の名が唱えられるときにはインド風にもなる。遊行して歩く旅の者はどのようにでも変化する。
しかし、ここ何年か彼は青森県六ヶ所村近辺に住んでいる。ここには日本唯一の核燃料再処理施設があり、彼は反核・反原発運動に積極的に加担しているからだ。「俺のような異形の他所者は、地元の活動やってる人から見れば邪魔になってると思うだろ。でもそうじゃないんだな。テントなんか張って現場で監視や抗議をしてるとき、俺なんかが一番前にいるのがかえって喜ばれるんだ」という。これは、ある意味では「革命の余興バンド」を自称し、山谷越冬闘争や夏祭りに出演し、香港の民主化運動を支持するA-MUSIKの在り方に似ていないこともない。彼が反原発運動の中で具体的にどのような立場にあるのかは分からない。しかし、そのネットワークを通じて各地へ赴いているのだろう。そうだとすればこの遊行者はマスコミ以前のメディア・メッセンジャーでもあるかもしれない。
だが、ここ2、3年のうちに状況は悪化しているという。オウム真理教事件の影響だ。彼の舞台である路上、大道で説法まがいにも見える芸をかけるのは非常に困難になったのだという。かつては初めての村や街角でも、芸を始めると人の輪が出来、口コミで噂が広まり、翌日にも別の客が来た。毎日見に来る高校生も居たほどだという。しかし、今はまず最初に警察が中止させに来るか、通報されて不審尋問ということになる。
そんなこともあって、彼は最近台湾への渡航、上演をするようになってきた。それ以前もインド、ヨーロッパ、モロッコなどへ大道芸の行脚をしていたのだが。勿論、不法就労というか、無許可上演である。現在、台湾の劇団からの招待を受けているという。そこで台北のホテルへ投宿することが多いのだが、そのことが今回、名古屋でオスト・オルガンとの共同作業に繋がってくる。共演ではなく、パラタクシス-隣接というべきなのだろうが、敢えて共演とさえ言いいたくなるのは「カミガタリ〜引く演劇」と名付けられた今回の上演がパラタクシスというよりはニャンコの意思がオスト・オルガンのスタイルに強く食い込んでおり、上演までの経過を知る程に、あたかも彼が演出したかのようにさえ思えたからである。
しかしまた、オスト・オルガン主宰の海上は言う。「オスト・オルガンだからこそニャンコと一緒にできるんですよ。」これもまた真理だろう。海上は上演後のコロックで「オスト・オルガンは形式と内容のパラタクシスなんです。」とも発言していた。そうしたことを考え併せるならば、やはりオスト・オルガンならではのパラタクシスが実現したというべきだろう。絶対演劇派の一つであるクアトロ・ガトス(清水唯史主宰、東京)と、「革命の余興バンド」A-MUSIKが大月市でパラタクシスして以来の壮挙であると私には思えたのである。
では具体的にニャンコとオスト・オルガンはどのようにパラタクシスしたのか。表面的には、観客の目にはニャンコが客演したように写ったであろう。私もその例外ではない。ステージは客席より少しだけ高く設置されている。舞台と客席の間には、高さ2.3メートルほどの白っぽいカーテンがかかるようになっている(このようなステージ上の幕を演劇畑ではブレヒト幕というそうである)。さらに客席の中央の通路にも、客席を左右に分断するようにカーテンが設置されており、その延長上で、カーテンは舞台も分断して奥まで続いている。舞台は客席と同じくらいの奥行きがあり、結局会場全体が四つに分割可能な状態になっているのである。
オスト・オルガンの出演者5名はあてどなく、としか見えないような歩き方で歩み、立ち止まり、座り、カーテンを既定の順序で開閉する。5名は後述するテクストの録音テープをイアホンで聴きながら、あるいはプリントを見ながら、それを発声する。ニャンコは常に舞台右手の区画に陣取ってそこが開放された時に大道芸を開始する。上演中のある時間、ある位置の観客はカーテンで隔離され、その外で起こっているであろう上演を聴くことはできても、見ることはできないという状況におかれる。オスト・オルガンは舞台左手にこれまでの上演で用いられた幾つかの素材を用意し、ある時間は全員がそれらを組み立て、分解する。
ブレヒト幕は本来客席や舞台を分断するようなものではない。私はこれをモレキュラーの用いたブラインドや、クアトロガトスの仕掛けた客席の分割などに匹敵するもの、ないしその引用と思い込んでいた。しかし、全くそうではなく、簡潔なある種のアナロジーだったことが後で分かった。会場全体を四つに区切るカーテンはニャンコから発案されたもので、海上は初め、客席の分断に反対したという。しかしカーテンの発想は上演に用いられたテクストとも深い関係があることがニャンコによって説明され海上は「私には観客席を分断するという演劇語法はないが、そういうことであればと、とりあえず納得した」という。上演の進行はこのカーテンの開閉の組み合わせが全て行なわれるまで続けられる(こうした確率的発想は数学畑出身のニャンコらしいと言えば言えるだろうか)。
ニャンコは何度か台北に滞在しているが、宿であるホステルでは各国の人間が二段ベッドの大部屋に寝泊りしている。いつもそこは噂話や喧嘩が絶えないのだそうである。最近になって幾つかのホステルでは急に各ベッド間にカーテンを巡らしたのだそうだ。それでプライバシーを確保させたつもりらしい。ある観客が「カーテンがあった時と無かった時のどちらが喧嘩が多いのか」と尋ねた。ニャンコはこう答える。「カーテンがあると周囲に聞こえる聞こえないに関わらずその内側では噂話がされている。しかし直接互いが見えている場合はすぐ喧嘩になってしまう」。カーテンの由来は、まさしく「隣接-パラタクシス」にあった。
上演テクストは以下のような過程で作られた。まずニャンコが台北のホステルで同宿者達が交す中国語(広東語)、英語、韓国語まじりの噂話の録音をした。それを持ち帰り、オストオルガンのメンバーに聴かせた。しかし、これは殆ど聴取不能だったという。そこで、ニャンコはその会話の話者や内容や状況を説明した。それを基にオストオルガンは噂話をする。これも録音された。そのテープの内容は文章に起こされた。それがテクストとなったのだが、上演に際してはさらに操作が加わった。それはテクストになった文の本来の発言者ではない者に、各発言者の役割をあててもう一度読ませた文を録音し、それが出演者それぞれの耳に装着されたイアホンから流され、それをなぞるように出演者は語るのである。こうしてテクストは、台北のホステルのカーテンの陰からニャンコの読解を経、上演者の感性を通過し、交換されることで、音声テクストと化し、その上で台詞となったのである。これは特異的な状況から他者的な現前化へのプロセスである。しかもその発端となった者がステージ上に居て、全くそれに関わらない大道芸を演じている。しかし、ニャンコは上演に先だって配布された対談録(Voice of NANA II 号外)では、上演とテクストの関係について発言している。彼にとっては「記憶の再現」というレベルで、大道芸と上記のようなテクスト製作過程は共通した問題なのだ。
ニャンコは全5時間半の上演中、何度も繰り返し登場しては自分の演目を繰り広げ、客席に降りては投げ銭を請う。オストオルガンのメンバーの、複数の淡々とした日常的語りに対して、ニャンコの節付きの、そして話芸者独特のあのダミ声は全く対照的である。リニアーな、しかし浮遊し、あてのないオストオルガンの空語、噂話に対して、ニャンコの繰り返される執拗な物語り、恨み節がまた対比的だ。「曲」-演目に入り込むことで変成意識を求めるニャンコと、初めからサイズと方向を決定してあるテクストを順次消化するオスト・オルガン。そして両者は一度も直接的な関わりをもたず、互いが存在しないかのような擦れ違いを繰り返すだけだ。そのため、観客たる私はいやがおうでも、その関係を構築する、あるいは無関係である根拠を探ることになる。しかし、パラタクシスというのはまさしく、ある意思によって併置されることによって効果を生んでいるのであり、それは物語的、解釈的な一義性を強いることはない。ましてや多義的なアルビトラリー(「受け取る人の主観に任されるんじゃないの」といった...)に堕すこともないのである。これは困難な作業である。この作業は必ず他者を必要とする。他者は世界からやってくる。世界は歴史の所産である。従って「絶対演劇」はパラタクシスという足場/方法論において世界と歴史を裂開するのである。
海上が上演に際して「ニャンコと一緒にやると言ったらかなり意外に思われたが、この共同作業をやるまでには長い時間がかかった。」と説明している。海上が94年の「ノンブルス/パラタクシス」において新聞紙を用いたとき、私はそれを「新聞としてつかっているのか、紙として使うのか。あるいは交換価値なのか、使用価値なのか」と問うた。海上はそれは両方なのだという。新聞が世界の象徴として受け取られても、それはそれで構わないということだろうか。またある「絶対演劇」のコロックにおいて、絶対演劇の歴史意識が問われたことがある。その時、海上とモレキュラーの豊島重之は対立した。海上は絶対演劇に歴史を持ち込むと言ったのである。そうした経過の上で、ニャンコが登場した。彼はオストオルガンに具体的な事件、場所、人物を提供する。あるいはイデオロギーを、アネクドート、エピソードを、ポエジーをも。それは豊島にとっての、ベルベット革命であり、ボスニア紛争であり、三内丸山遺跡であり、吉増剛造だったのか。ローカリティを基盤とする豊島にとっては上演の形式自体が既に世界と歴史の対位法であり、上演内容にその固有名を呼ぶ必要は当初なかった筈だ。海上はニャンコに媒介させてそれを繰り込んだ(もっとも、豊島のほうが一歩早くダンス・パフォーマンスやオペラの形式でローカルな固有名を強調してきたのであるが)。
海上はさらに手話者とのパラタクシスを計画している。障害をひとつの境位、審級と考えるのはなんら意外なことではない。それは豊島作品ではアントノワール=生成変化として漏斗をつけた「人=虫」たち、あるいは権現=生成変化としての「パラ/サイト」として上演され、そこでは演じる者の視野狭窄が重視されたのだった。思えば海上が89年の八戸におけるカフカ・コロックで上演した「"掟の前で"より-VOICEの横断」では既に出演者は車椅子に座していたのだ。上演にはなんら自由の幻想は不要である。身体・五感が与件であることは歴史意識である。海上と、かつてパフォーマンスについて話し合ったことがある。身体の優越性を示す身体表現に嫌悪を示す筆者に、彼は(筆者が擁護する即興演奏において)楽器が内在している歴史への無批判を指摘した。ここから発展させて、あらためて言うが、「身体という意識」は既に「歴史意識」であり、それは予め疎外されたという意味でのみ存在し、それこそが「自由意思」の根拠となる。何故ならば、「完全に」抑圧され、疎外された状況下では、「疎外された」という意識さえ生ずる契機はないのだし、むしろその状況下では無根拠に完璧であり、完全な自由であると思い込むしかないのだから。
聴力障害者同士の手話は、健聴者と聴力障害者の間に交されるそれとはかなり異なるレベルのものだという。だとすれば、まさしくドゥルーズ=ガタリに倣わずともポリグロット、マルチリンガルの境位がそこにあり、「国語」という擬制を撃つことになる。手話者の語法におけるシステムが、印相、ムードラとして象徴界をなし得るならば、健聴者のそれとは異なる神話を有していてもよい。これは新たな歴史の生成なのだ。
■ 海上宏美氏よりの指摘
オスト・オルガン代表の海上宏美氏よりレビュー「カミガタリの死」について筆者である金野吉晃あてに訂正や解説が届きましたので抜粋して披露します。
「カミガタリ〜引く演劇」ではなく、実は「カミガタリ`引く演劇」なのです。「`」はカーテンなのです。
ニャンコについて、「テント小屋での演劇」ではなく、彼らは屋外での演劇をやっていました。
私(海上宏美氏のこと。以下の文中も特にことわりなければ同じ)は、オスト・オルガン代表ということにしています。
「私には観客席を分断するという演劇語法はないが、そういうことであれば、とりあえず納得した。」と私は発言したかもしれないのですが、やや私の考えと違うので、訂正しておきたいと思います。私にそうした演劇語法がないのはその通りで問題ありませんが、私が納得したのは、テクストと関係が深いからではありません。discrete=離散は、演劇語法とは全く異なる発想から出てきたものであること、それが世界についての見方(正確に言えば、世界は世界という全体性としては見ることはできないという見方)、つまり、行為しつつ存在する在り方についての見解として了解できたからです。
上演時間は4時間半です。
「海上はさらに手話者とのパラタクシスを計画している。」これは、間違いです。障害者と健常者の共生を目指す「わっぱの会」とのパラタクシスです。上演には、聾者や手話翻訳者も参加しますが、その人たちは「わっぱの会」の人ではありません。「わっぱの会」の今回の出演者は、CPと言われる脳性マヒ者2名と下肢マヒ者1名と健常者1名です。
ニャンコの言うdiscreteとは、私の理解では次のようなものです。
世界は変化するのだから、「構造」という語では説明することはできない。「構造」はだいたい知っている、という意味でしかない。そして、「構造」もまた変化する。変化するとは、常に更新され、拡がり、増えていくことと考えれば、「世界」は無限であることを意味する。そこでできることは、並べきれないと知っていながら、知っていることを並べる、数えあげることだけである。カーテンの開閉の並べ方は、18兆通り以上あり、それは私たちにとっては無限にも等しく、しかし、一つの上演で出来ることは、一通りぐらいでしかない。そのことを知りつつも、開閉=並べるしかない。discrete=離散とは、だから、1つ知っている、2つ知っている、3つ知っている、4つ知っている...、という態度である、と。それに対して「構造」はだいたい知っている、という態度だ、ということです。
確かに、古い時代から、砂に線を引く幾何と石を並べる数論という対立があるようです。石を並べるというのは、1つ積んでは、2つ積んでは、という賽の河原の石積みと似ています。大道芸人ニャンコの在り方と繋がってくるように私には思えます。
...以上が海上氏よりの指摘でした。これでかなりクリアになった部分があるように私(金野)には思えます。また、<世界は変化するのだから、「構造」という語では説明することはできない。「構造」はだいたい知っている、という意味でしかない。そして、「構造」もまた変化する。変化するとは、常に更新され、拡がり、増えていくことと考えれば、「世界」は無限であることを意味する。そこでできることは、並べきれないと知っていながら、知っていることを並べる、数えあげることだけである。>という表現は明解で、私(金野)の乱雑な書き方、物言いに対して「謙虚たれ」と強く反省を迫るものです。なにしろ、出たばかりの「G-MODERN#19」には思いっきり「構造」的ペダントリーを披露してしまったもので、赤面の至りです。(990216)
02-17-99
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