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ケージ
檻にふれケージを見直す
│ onnyk

 

1. ケージとシェーンベルク…調性、ノイズ、リズム

 

 ナチスの迫害を避けて、ユダヤ系のシェーンベルクは渡米した。そこで、不肖の弟子、ジョン・ケージと出会う。というより、ケージは対位法を勉強するためにかなり強引に押しかけたのである。両者の出会いは最初から時間の解釈についての反目であった(ケージはシェーンベルクの家を初めて訪ねた時、非常に早く着き、追い返される。そして次の訪問には遅刻して彼を怒らせたのだ)。後にシェーンベルクはケージに言い渡す。「君には全く和声の感覚が欠けている」と。ケージは答える。「では私は一生その壁に頭を打ちつづけるでしょう」と。

 しかし、彼はそんなことはしなかった。彼は和声に関係のない音、ピッチのはっきりしない音を扱うことにした。それはノイズである。そして彼はその素材を構造化-作曲-するのに、唯一のパラメータを用いた。それはリズムである。そしてそれはシェーンベルクの方法論では最も言及されなかった部分なのだ。

 晩年のシェーンベルクはユダヤへの回帰をあらわにする。ケージは易経を一生の伴侶とした。

 

2. ケージとブーレーズ….不確定性(インデターミナンシー)、偶然性(アレアトリー)

 

 二人は初め、大変親愛の情をもって付き合っていた。しかし両者は偶然性の解釈をめぐって決裂する。ブーレーズはケージの偶然性─主として易による─による作曲を方法の放棄であるとして非難する。ブーレーズの作品においては作曲上の偶然性は存在しない。シェーンベルクの12音技法の論理的発展としての音列技法(ミュジック・セリエール)はブーレーズの「第2ソナタ」(48年)において頂点に至ったと言ってもよい(その後につづくのはクラスター音楽、スペクトル音楽しかないのだ)。

 ブーレーズの作品では、演奏においてわずかに不確定さが残されているものがある。「ドメーヌ」(68年)はクラリネット奏者とアンサンブルの対話で進行するが、その進行自体は演奏者の選択に任されている。ブーレーズはこのような方法を「管理された偶然性」と呼ぶ。

 ケージは基本的に「音は出てくるにまかせるのがよい」という態度をとる。「なぜなら、人の努力は世界を悪くするばかりだ」。演奏者は極力、自分の意志を捨てるべきとされる。

 考えてみると、個人的意志の否定という意味では指揮者に従うのも同じことだ。問題は演奏者の自己表現という意志(幻想?)にある。ケージ、ブーレーズともその発露に良い顔はしない。しかし、その渋面の意味するところは正反対なのだ。

 

3. ケージとクセナキス…(1)モデルとしての自然

 

 ケージの66年の作品「カリヨンのための音楽 No.4」の楽譜は美しい。それは一片の木片に時間軸とピッチを示す線を書き込んだだけのオブジェである。

 ケージが大きな影響を受けたマルセル・デュシャンは日用品のオブジェを、文脈から切り離すことで、それを「作品」として提示した。

 木片は発見されたオブジェというだけの意味ではない。それはサンプルされた自然の象徴でもある。

 クセナキスは全く違う方法で自然を考えた。彼の提唱した「統計学的音楽」(ストカスティック・ミュージック)は、確率的自然現象、つまり流体力学、確率的変化によって振る舞う多数の質量点などに初期値を与え、コンピュータによってその動態を計算(シミュレーション)し、その出力を譜面に書き直すという手法である。自然とは形態的な存在ではなく、原理つまり法則によって統べられているノモスであるというのがクセナキスの考えだ。勿論、その淵源はピタゴラス、エピクロスらのギリシャ自然哲学にあることは確かだ。

 あるいはクセナキスのテープ音楽「ボオール I」(62年)では音響素材として炭のはぜる音、ラオスの装身具を揺らして触れ合う音をもちいた。これは彼にとっての象徴的自然というべきものかもしれない。聴いたことのない方々のために印象だけ言っておくと、嵐の野外にマイクを立てて録音したような響きだ。

 両者の提示する結果は全く印象を異にする。ケージにおいては作曲法は偶然性に、演奏は恣意性に委ねられる。従って、演奏による音響は再演の都度に異なる。クセナキスでは完全に、従来の記譜が守られ、演奏結果が変化することは最小限となる。ある意味では彼の作品には演奏者や指揮者の解釈が介入する余地はなく、むしろ如何に正確に譜面を奏するかが問われる。

 両者は共に「芸術は自然を手本とする」というあまりにも古典的、正統的な美学を持っている。しかし、その結果は正反対なのだ。

 

4. ケージとクセナキス…(2)時間、指揮者

 

 フェリーニの映画「オーケストラ・リハーサル」では、自主管理を要求する演奏者が反乱を起こし、指揮者の代わりに巨大なメトロノームを指揮台の上に乗せる。ところが、それにさえ反対する一群がメトロノームを打ちこわそうとして、それを守ろうとする者達と殴り合いになる(別の奏者たちはピアノの下で睦みあっている)。その騒乱の最中、なぜか巨大な鉄球が現われて壁を破壊し、リハーサル室は瓦礫と粉塵にまみれる。そして再び指揮者が台に登って映画は終わる。 

 クセナキスの「テルレテクトール」(65〜66年)は88人編成のアンサンブルによる曲だが、演奏者全員の楽譜が異なる。演奏者は聴衆の間に散らばっている。彼はこれを「電子的手段では不可能な90トラックのソノトロン」と表現している。このような状況では既に指揮者の存在意義は極端に薄くなっている。

 ケージは晩年の作品で、指揮者の代わりに演奏者各自が時計を見て、指定された時がきたら音を出すという方法をよくとった。しかも全員が開始の時刻を合わせておく必要はないらしい。初期の作風ではどこまでもリズムと平方根構造にこだわった彼は、インド哲学と易経と禅に出会って、明らかに「時間」という概念の性質について態度を変えたのだ。

 

5.ケージ、クセナキス、ブーレーズ…テクノロジー、コンピュータ、作曲

 

 ケージについて、作曲家ではなく発明家だという声がある。プリペアド・ピアノ、ウォーター・ゴングなどは確かに新案特許ものだが、その他にもユニークなアイデアは多い(ケージ以前にもピアノに仕掛けをした作曲家はあるにせよ…)。水を入れた法螺貝を揺らすことや小さな音を拡大するためのコンタクト・マイクの利用も面白い。空き缶やドア・ブザーを演奏に用いた「クレド・イン・アス」(43年)には、既にラジオかレコードも用いることが指定されている。レコードの使用は「イマジナリー・ランドスケープ No.1」(39年)に遡る。コンタクト・マイクとレコードの使用の発展は「カートリッジ・ミュージック」(60年)を生む。デュシャンの「オブジェ」の考え方を拡大すれば、日常の音(ノイズ)やメディアの音を用いることも全く唐突ではない。

 P. シュッフェールらによって開発された「ミュジック・コンクレ」(具体音楽)は四つの意義を持っている。まず、日常の音響、ノイズを構造的に用いて「作品」とする方法論を完成させたこと。次に、その基盤としては「録音」とその電子的変容を可能にする技術の到来を告げたこと(つまり、ここからテープ音楽、電子音楽、コンピュータ音楽、サンプリングが始まった)。その背景としてシュッフェールが戦時中に行なっていたラジオ・ドラマの経験─具体音と話声と楽曲のミックス─がある。つまり三番目として、電子メディアに基づくマス・コミュニケーション社会の音楽の在り方を宣言したこと。そして最後に、あらゆる音源は元の文脈から切り離して使用できることが示された。

 こうした成果は、ケージにおいては「ウィリアム・ミックス」(52年)、「フォンタナ・ミックス」(58年)、「ロツァルト・ミックス」(65年)といったテープ・コラージュへと生かされている。

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 クセナキスは作曲にコンピュータを用いたことで有名になったが、彼自身常に言っていたように「出力された結果のうち、実際に楽譜として定着できるのは10%くらいに留まる」のであり、どの部分を譜面にするかは彼自身の美的な判断によるとも言っている。彼は、作曲は最後は人間の仕事であることを強調する。また、80年代になってパソコンが発達すると彼は、フリーハンドで画面から入力した図形が音となって出力されるというシステムを製作し、公開した。評判はあまり芳ばしいものではなかったが。こうした構想は決してユニークでもないし、要求水準が低いものならすぐにでも可能なのだ。問題はその精緻さにあり、結局ハード面の性能に依存せざるを得ない性格のものなのだ。10年経てば子供の玩具になってしまうような方法論は作曲ではない。

 ブーレーズはフランスの誇る組織IRCAMの最高のスタッフと器材を用いて、作曲支援ではなく、演奏支援のシステム「4X」と「マトリックス32」を開発した。彼の作品「レポン」はこれらを前提として構想されている。この演奏は幾つか独奏の楽節が即時にサンプリングされて移調しながら、かつ空間的にも聴衆を囲んで配置されたスピーカーによって、その音像を移動させつつ、次の楽節と重なっていくという複雑な構成になっている。こうした移動する音像は彼の提唱する「モビール音楽」の特徴であり、独奏と、円形に配置されたアンサンブルの対話で進む「ドメーヌ」(68年)の発展型である。彼には未完の「進行中の作品」が幾つかあるが、「レポン」は81年、初版が発表以降最終稿が完成していない。「レポン」が完成しないのは、いや出来ないのはその演奏の可能性がハードの性能の発展に依存する傾向があるからだろう。国の威信がかかっている作曲は辛い。

 ケージが作曲のツールとしてのコンピュータに取り組んだのはレジャレン・ヒラーとの共作「HPSCHD」(67〜69年)が最初である。この作品は3人のハープシコード奏者の独奏と、オクターブの52種類の分割のテープのミックスである。しかもレコードではそのミックスを聴取者の手に任せるということになっており、ダイアグラムが添付されている。印象としてはケージの全作品の中でも最も混沌としているもののひとつだ。

 そして81〜83年以降、彼はまた、作曲に用いていた易の手順が、大変に手間がかかるということから、このプロセスをコンピュータに任せることを思いついた。それはヴァージョン・アップしながら最後まで用いられたのである。晩年、「ユーロペラ」シリーズでは多くのメディアを使用することになり、その全てを易によるチャンス・オペレーションで決定し、かつ上演の制御を行なうため、作業の複雑さ、多さから、コンピュータ専任の助手を雇った。而して作品の細部は助手任せになっていた部分が少なからずあった。

 易とは天の声を聞く作業であり、革命もまた天意によるものだ。コンピュータは革命を手伝ってくれるだろうか。

 筆者はかつてコンピュータと音楽の関わりについて4つの在り方を分類した。それらは1)作曲の支援、2)音源の発生の制御、3)プログラムされた即時的反応、4)サンプリング・ユニットである。これらを組み合わせることも勿論可能だ。上記の三人のそれぞれの方法をあてはめ、組み合わせるのは容易であるが、各々の意義を考える作業が必要である。

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 ブーレーズはケージに「作曲の怠慢」と言ったが、それはどうやら外れではないらしい。もっともケージには全く罪悪感はない。なぜなら彼は自分を作曲家だと思っていないふしがあったからだ。

 

(97年10月5日、未完。折にふれ更新する予定です。

 

 


ケージが約束の時間を守れなかったことに対して、それを叱った先生は、シェーンベルクではなく、ピアニストのリチャード・ビューリックです。そして、彼がケージに時間の重要性を説いたことは、後のケージの芸術に最も根本的な影響を与えることになりました。シェーンベルクとケージの関係は、かなり微妙です。例えば、シェーンベルクはケージについて、「作曲家ではないが、天才的な発明家である」と述べています。シェーンベルク自身、実際に幾つかの特許を取得した発明家であったことを考えると、この発言には、皮肉だけではく、羨望の気持ちも込められているように感じられます。(宇佐見理)


 

<クセナキスが「京都賞」を受賞し、来日して講演などしたという。その記念にと思い資料をひっくりかえしてみたら、クリティカル・クラックに既にアップした記事で、少し訂正個所を発見したので以下に記す。ONNYK>

 

 クセナキスの「テルレテクトール」(65〜66年)は88人編成のアンサンブルによる曲だが、演奏者全員の楽譜が異なる。演奏者は聴衆の間に散らばっている。彼はこれを「電子的手段では不可能な90トラックのソノトロン」と表現している。このような状況では既に指揮者の存在意義は極端に薄くなっている。

 

<むしろ「テルレテクトール」よりも「ノモス・ガンマ」(67〜68年)の方がこの記述に即している。「ノモス・ガンマ」は98人の演奏家による98の独立声部を持つ室内オーケストラ作品で、やはり演奏者は聴衆と混然一体となっている。この作品は確率や統計の手法を使わず、群論によって書かれており、「時間外カテゴリー」としての「音の織物」をめざしている。nov.21.'97>

 

 あるいはクセナキスのテープ音楽「ボオール I」(62年)では音響素材として炭のはぜる音、ラオスの装身具を揺らして触れ合う音をもちいた。これは彼にとっての象徴的自然というべきものかもしれない。聴いたことのない方々のために印象だけ言っておくと、嵐の野外にマイクを立てて録音したような響きだ。

 

<ラオスの装身具ではなく、ラオスの笙つまりケーンを用いており、装身具は地域ははっきりしないがオリエントのものを使っているという。また炭のはぜる音を用いたのは「ボオール」ではなく「コンクレP-H」(58年、68年)であった。nov.21.'97>