日本のフルクサス・スピリッツ あるいは アヴァンギャルダーたち
(映画とパフォーマンス)





 *この企画は、2000年9月30日、
名古屋・得三にて開催されたものです。
企画:山下信子(オルフェの袋小路)
協力:古田一晴、名古屋シネマテーク、WebRain

[映画]
「ある若者たち一愛のバイブレーション」
1964年製作/16mm/モノクロ/28分
監督/長野千秋 出演/篠原有司男、ゼロ次元、オノ・ヨーコ、田中信太郎、観光芸術協会、他
*当時の流行歌のメロディにのり、前衛芸術家達の日常の活動を追った美術ドキュメンタリー映画。アーティストの制作風景や作品についての意見が折り込まれている。田中信太郎の「蓄音機」が音を出し、ゼロ次元が動く。日比谷公園噴水前で観光芸術研究所がイヴェントし、多摩川の河原で絵が燃やされる。篠原有司男のヴギウギダンスは必見。『グレープフルーツ・ジュース』初版時のオノ・ヨーコのコンセプトが語られており、現在までの一貫した活動には心打たれる。長らく(30年くらい)所在不明だった伝説の作品。作品中のナレーションは、小池朝雄。

長野千秋(1931-) 大学卒業後、科学史を研究。その間フィルムによる芸術的自己表現の欲求にかられ57年日映科学映画演出部に入社。石本統吉に師事、60年退社しフリーとなる。シュルレアリスムに深い関心を寄せながら、言語世界の表現の中に閉じこもり、肉体的表現の世界をおろそかにしている点を遺憾に思う。67〜68年にかけて土方巽スタジオで大野一雄に師事し、舞踏の修練をうけ、この間「老人」などの映画をつくりながら舞踏の舞台監督をつとめる。代表作は大野一雄の出演を得て撮られた「O氏の肖像」「O氏の曼陀羅」「O氏の死者の書」(69-76年)の三部作。

「ハイレッドセンター・シェルタープラン」
1964年製作/16mm/モノクロ/18分/サイレント
監督/城之内元晴 出演/ハイレッドセンター、風倉匠、足立正生、オノ・ヨーコ、ナムジュン・パイク、幸美奈子、横尾忠則、他
*1964年1月26、27日帝国ホテル304号室内で行われたハイレッドセンターの有名なイヴェントの記録。56名もの作家達が参加したと言われている。写真などの記録だけでは分からないハイレッドセノターのイヴェントの面白さを知ることができる。後に東京地方裁判所701号法廷における「千円札裁判」でも上映された作品である。当時帝国ホテルのツインは7千円。ライト設計のこのホテルは現在明治村にある。このサイレント作品の過去の上映に際し、小杉武久がインプロヴィゼーションやテープで音を担当したこともある。
今回は、
This Location(岡崎豊廣)が音を担当。

城之内元晴(1935-1986) 50年代から60年代への転換期における学生映画会のリーダーとして日大映研を中心に足立正生らと共に活躍。60〜70年代へ、東京・荻窪VAN映画研究所の主宰者としてあらゆるジャンルの前衛芸術家たちと協働し実験的作品を撮りためる一方で学生叛乱を記録し続けた。75年それらの未発表中短編群を「ゲパルトピア∞」一巻に集大成し、90分にわたる誠実な自己総括によって改めて注目された鬼才。86年交通事故のため急逝。代表作「釘と靴下の対話」「ドキュメント6・15・'61, '62」「神聖受胎」「チカニオリル・新宿ステーション」(上映会は監督自身のヴォイス・パフォーマンスと映像のコラボレーションであった)

「ザ・ウォーキング・マン」
1969年(?)製作/16mm/15分
監督/岩田信市 出演/岩田信市、ゼロ次元

*名古屋郊外を岩田信市がひょろりと大きな図体でひたすら何の意味もなく歩き回るパフォーマンス。今やロック歌舞伎のスーパー一座を率いて20余年の岩田信市の、古くもなつかしい名古屋の風景。どことなくただようユーモア! 今見ると当時の風俗などとても興味深い。

[パフォーマンス]
弓場宗治(ギター・インプロヴィゼーション)
奈良明日香村在住のアヴァンギャルド・ミュージシャン。「アスカテンプル」というバンドでも活動。古典からインプロまでこなす。

山下信子(パフォーマンス)
パフォーマー、映像作家、オルフェの袋小路主宰。70年代より自主上映会を開始。パフォーマンス、講演会、ライヴ、ワークショップなど様々なイヴェントを企画、出演。
*当日は、弓場宗治のギター・ソロの他に、弓場+山下+岡崎で短いインプロヴィゼーションのセットもあった。


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